性からみる本性(湯川友太・高1)

メンバー記事(プログラム:編集)

皆さんは自分は何を考えているのか、何がしたいのか、そもそも自分は何なのかについて考えたことがあるだろうか。自分のことは自分が一番知っている、ということはよく言われることだが、その自分でさえもよくしらない「本性」は誰しもある。そしてそれは、普段は気にかけられることなく、疑いの届かない思い込みの海に沈んでいるだろう。
 突然だが私は「自分の思い込みを探そう」という課題で、次のような文章を書いた。

僕の思い込みは「自分はいわゆる男(性的少数者でない)である」ということだ。
最近ジェンダー問題に関するニュースをみたり、学校の特別授業で聞いたり、実際に調べたりとと触れる機会は多かったものの、「クラスメイトにいるかもな~」等と思うだけで、自分が当事者かもしれないという確率は考えたことがなかった。
なぜこのような思い込みが生まれたのかと考えると、やはり自分の生まれ育った環境やその過程に理由があると思われる。さらに考察すると、幼少期のおもちゃや服装、名前等自分の生物学的な性によって親が用意したものに触れるうちに、自然と心の中に「自分は男だ」という自覚が芽生え、「スカートをはいたあの子と自分は違う性別だ」等自分と他との性的な境目を引いてしまうからだという結論に至った。これは、生まれたての子のこころの性がわからず、今よりジェンダーの話題がなかった分仕方ないだろう。もっとも性的少数者は、幼少期から「自分は普通の男の子、女の子じゃない(この言い方はあまりよくないが)といった自覚はあるらしい。しかし、自分が今まで自分の性について疑いを持たなかったのは、「幼少期の暗黙の了解」が理由だと考えられる。


 書いた時の自分は、課題に沿った良い文章だと自信を持っていた。だがその後のワークショップで「なぜこのことを書こうと思ったのか」「何が原因で思い込みが生まれたのか」等みっちり質問を受けると、この文章は綺麗にまとめているだけで、全然自分を掘り下げることが出来ていないと実感した。また同じ課題で他のメンバーが書いた「思い込みという思い込み」に関する文章を読み、これは本当の自分ではないと気づかされた。そこでここでは、私湯川友太(ゆかわゆうた)が自分が書いた文章から、なぜ自分は「俺は自分が男だと思い込んでいるんだ」と思いこんだのかについて考察し、自らの本性に迫ってみたいと思う。


 まず一つ目の原因としては、自分のジェンダー問題についての関心があるだろう。先の文章にも書かれているように、学校の授業や課外活動などでジェンダー問題に触れる機会が多かった。また、共学校の人と話したり、共学校、社会を知る大人の話を聞いて、自分が男子校という性的に閉じた世界に通っているのだ、その自分が将来ジェンダー格差を広げてしまうかもしれないと自覚し、ある意味思い込まされたこともあった。以上のことから「何らかの形でジェンダー問題を知りたい、解決したい」という思いは強くある。しかし、こういう大きな問題に関わる中で一番難しいのは「自分事にする」ということだ。これが出来ないと真剣に問題を考え、話し合い、実際に行動するのがとても難しくなる。自分は過去にも食糧問題や地方創生等の社会問題について興味をもったものの、「自分事にする」ことが出来ず、さらに調べて行動するモチベーションを持つことが出来なかった。おそらく自分はジェンダー問題を「自分事」化するために、砕けていえば問題の当事者になるために、先の文章で「自分の性に疑いを持たない哀れな人」を演じたのではないか(幸いなことに、ジェンダー問題への興味は今も消えることなく、後述することを考えるくらいに広がってきている)。
 二つ目の原因には、もともと自分は男性の中では女性側(女子力が高いとでもいうのだろうか)である、もしくはそう思い込んでしまっているからだと思われる。例えば小学校の時、6年生にもなれば男子は男子、女子は女子で固まって話すようになっていたが、自分は席の近い女子や仲のいい子とよく話していた(もっとも中学からは男子校に通っているのだが)。これは自分が少し女性らしいこともあるだろうが、あまり人の目をきにしない自分の性格も影響しているだろう。もしかしたら「女子と話してるやつは男っぽくない」という価値観に、「だって俺女っぽいし」と無意識に反抗し、思い込んでいたのかも知れない。またこれは最近の出来事なのだが、仲良くしている女友達に誕生日プレゼントとして、花柄のかわいい手鏡をあげて「私より女子力あるじゃん」等と言われたこともあった。
 ここで少し話の本筋からはずれるのだが、よくいわれる「男っぽさ」「女っぽさ」(いわゆるかっこいい、かわいい等)とはいったいなんなのだろう。女性は皆女っぽく、男性は皆男っぽいのだろうか、おそらくこれは違うだろう。実際に今まで(言い方が悪いが)「男っぽい女子」にも「女っぽい男子」にもあったことがあるし、友達の中にそんな一面を見つけたこともあった。つまり全ての人を男と女の境目でくっきり線引きすることはできず、それぞれの人の性別は生物学的な性、性自認、性自認(この二つは心の性別である)の三つのグラデーションであるといえるだろう。だからといって「男っぽさ」「女っぽさ」が存在しないかというと、そうではないはずだ。男は万年筆や革財布、女はネックレスやピアス(もちろん例外があるのは承知だが概論では)を好むように、趣味趣向などの区分はあるはずだ。
 話を本筋に戻すと、先ほど述べた性のグラデーションと、各人の趣味趣向等の本性との間には相関性があるのだろうか。これがわかれば、自分の趣味趣向から自分の性的な立ち位置を知ることができる、より自分を知ることができるのだ。
 自分を知ることの強みとしては、より「自分らしく生きる」ことができるというのが大きいだろう。ここでいう「自分らしく生きる」とは、自分に無理をさせずに生きるという事だと思う。中学に入ってからディベート、サッカー、ドラム、生徒会活動に課外活動等、自分なりに色んな事に手を伸ばしてきたつもりである。しかし最初は楽しそうに思えたが後々「これは自分に向いてない」、「負担が大きい」と思ってやめたことも数多くある。このような葛藤の中で得られたものももちろんあるのだろうが、最初から自分を知る、自分の好みややりたいことを知っていれば、ある意味無駄な苦労しなくてよかったのだ。つまり、自分を知る強みとしては、ストレスなく、素早く自分にとってbetterな選択が出来ることだろう。ここでbestにしなかったのは、bestな選択は自分だけでなく、選択するそのものを知ったうえで決まるものだと思うからだ。そうであっても、betterからbestに行くほうが楽なはずで、楽に越したことはないだろう。この文章をきっかけに、性に関することに限らずもっと自分を知り、自分らしく生きていきたいと思う。