思い込み(湯川ニナ・中3)

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思い込み。
きっとそれは、本人は気が付かない程そのひとに根付いているもの。
自分の中の思い込みを探そうとして、私はふと思った。「私はそれに気付くことができるのか?」と。
例えば、私は死ぬことが一番恐ろしいと思っている。けれど、知り合いが死後は楽園に行けてそこは現世よりも素晴らしいと言ってきたとしよう。私は勿論信じないだろう。立証がどうこうという問題もあるが、それ以前に”そんなことはありえない”からだ。これが典型的な思い込みでは無いだろうか。勿論、こんな例え話を書きはしたが私は死が一番恐ろしい。し、自分ではこれを思い込みとは(自分の思考がおかしいとは)思っていない。きっとこれが思い込みだとしても、私は書くことができないだろう。余りに当たり前のこととして自分の中にあるからだ。つまり思い込みを見つけるというのはさも当然のように思考の中にいることを疑うという大変な、あまりに面倒なことをしなければならないのではと私は気が付いた。無理では?
長々と書いたが、要するに思い込みとは何か分からないという事だ。偏見との違いは?どこからが思い込みなのか?概念?物体?
実はここで話が停滞しはじめ一旦書くのを止めた。まあ迷走しているのは誰の目にも明らかだったので。そこで別のテーマとして思い出したのが前回のワガママSDGsだ。前回、グループワークの時に皆で思い込みを書きだした。それを思い出して、その時の自分が思い込みと思っていたものについて書こうとしたのだった(学校や性別、服装や勝手に太る体とか。数行上のややこしいことでは無く!)。しかし、私は一つの事を思ってしまった。迂闊にも思ってしまった。思わなければ今頃私はぐっすり眠れていただろう。……それは、”思い込みと思っているそれ自体が思い込みなのでは?”ということだった。無茶苦茶だ。
誰にも証明できないものを考える。しかも思い込みを思い込みなんて、断言してはいけないと断言するようなものではないだろうか。頭痛が痛い。しかし、私にとっての思い込み像がそれになってしまった以上書くしかない。
ここであまりに遅い本題を述べると、”思い込みという思い込み”だ。

さて、逆に思い込みではないと確証を持って言えるものとは何だろうか。自分の気持ちだけではなく本当に立証されたもの。それで私が思いついたのは親子関係である。
私には母親がいる。母親と私は親子であると断言できる。思い込みではない。なぜか。
まず、私は生まれてこの方ずっと母と家族として暮らしてきたからだ。14年間そうであったという事実。それに、恐らく血も繋がっている(血がつながっている者だけが家族と言うわけでは無いけれど)
二つ目は、相手も認めているという事だ。母親に「あなたは母親ですか?」と聞いたら(複雑な家庭では無かったため運良く)肯定が帰って来た。
三つ目は、周りや国のシステムが親子であると証明しているからだ。事件などでもそうだが「I」「You」のみではそれが真実かは疑わしい。けれど、第三者(それも多数)が認めているというのは確実だろう。さて、ここまで書いてなんだがひとつの事を思い出してしまった。
学校でのとある授業のとき、ポル・ポトの話が出た。
独裁政権のその時代、学校教育も変化し(今でいう洗脳教育)子供たちは無意識のうちに思想を刷り込まれた。そのうちの一つが、「外国は怖い」というものだ。何故かと言うと、当時の政権にとって外国と手を組んでクーデターを起こされるのが一番怖かったから。それを教育として先生が話す。子供は勿論どうしてと質問する。外国はとても恐ろしい所だと先生は言う。そしてこう続けるのだ。「あなたたちの親が外国について話していたら先生に教えてね」と。そうして子供は気付かずのうちに密告者となり、家に帰るころには親はいなくなっている。しかし、賢い大人は子供の前ではそういう態度を出さず夜に集まって会議をしていた。勿論国は集会を禁止したが、それでも取り締まられないように集まっていた。けれどやはり家を出て行くところは子供は目撃してしまう。そして先生に相談する。まさか軍を四六時中家の前で張り込ませておくなどは出来ず、先生…国には手出しのしようがない。だから先生はこう言うのだ。「あなたの親は間違えちゃったの。だから、どうか君が救ってあげて」…そして、銃を子供に渡す。親がいなくなった子供は少年兵となる。さて、長く話したがここで問題なのはそう育てられてきた子供たちが政権が崩壊した後どう思ったのかだ。親を殺してはいけないなんて知らない。今までが異常だったなんて全然知らない。
これは、周りが認められているからと言って確実にそうであるという立証が出来ない証明になるのではないだろうか。と、このように話が無限ループとなってしまったので書くのはここでやめることにする。

結局思い込みと言う思い込み、思い込みは本当に思い込みであるか、思い込みではないと思っている事こそが思い込みなのではないかとなかなか面倒なことばかり書いてしまった。
余談だが、タイトルの思い込みの上に書いてある点は強調ではない。皆さんは数学の「循環小数」を知っているだろうか。高校で習うものだが、永遠に続く少数の中でも規則性のあるものをさす。そして続く数字の最初と最後に点を付けるというものだ。私の中で思い込みが永遠に続いていたので、ひと工夫をとそういうタイトルにした。