なぜかお風呂で熱唱しちゃう件について (湯川舞夢・高3)

メンバー記事(プログラム:編集)

ロボットみたいな私:ロボット:

朝、スマホのアラームと同時に起きる。隣には去年うちに引き取ったゆきちゃんがいて、早くご飯食べたい、というような顔つきで尻尾を振る。洗顔をして制服に着替えて、あ、忘れずに日焼け止めも塗って。時間があればお母さんが用意してくれたご飯を食べて、6時54分発の電車に乗る。この時間の電車に乗る子は少なくて毎日固定のメンバーが乗っている。隣のクラスのあの子はいつも英語の単語帳を見ていて、一つ下のあの子はいつも友達と話をしている。私はいつも一両目の一番後ろで立ちながら目を瞑っている。
 朝クラスに行くのは大抵私が一番で、職員室に鍵を取りに行く。次の電車が来るのが教室から見える。次にクラスに来る子も毎日同じで、時計を眺めながら、あと10分くらいだなって予想して。どんどん増えていくクラスメイトと話をしたり、宿題を見せ合ったりして、チャイムと同時に席につく。そして担任の先生が来て小テスト。その10分後から授業が始まる。
時間割は毎週曜日ごとに同じで授業はいつも60分。休憩は10分で、三限が終わるとお昼ご飯。6限が終わるとホームルームがあって帰宅。大抵私は残って7時まで勉強してから帰る。帰りの電車の子も顔なじみの人たち。まっすぐに家に帰ると、お母さんが作った暖かいご飯があって、お風呂に入る。髪を乾かしている間は明日の予習進めよう、あ、数学も進めないと、とか思うけど気がついたら机で沈没している。これが私の変わることのない、当たり前の毎日だ。
この生活は随分私の中でルーティン化されて、誰かに何を言われることもなく、同じような毎日繰り返している。日々小さな変化はあるのかもしれないが、朝になったら学校に行く準備をするし、夜になったら家に帰ってくる。何も疑うこともなく、まるでロボットみたいに予め設定があるかのように。

当たり前って有限…? 

いつからこの生活が私にとって当たり前になったんだろう。少なくとも1年前の私は引きこもりで、学校に行ったり行かなかったりだったし、一年後は高校も多分卒業していて、大学生になってたりするんじゃないかな。今私が機械的に過ごしているこの日常は、昔は全然違ったものだったし、1年後にはまた全然違うものとなる。言うなれば、期間限定の当たり前ってことだ。
世の中の人もそう。毎朝見かけるあの人も5年前にはこの電車に乗っていなかったかもしれないし、5年後には退職してのんびり過ごしているかもしれない。今の国語の先生も来年ごろに結婚していて、電車通勤じゃなくなっているかもしれない。私が今、当たり前だと思っている高校生だ、という事実も1年後には大学生という事実に変わっている(かもしれない)ように、ずっと続く当たり前なんてない。それなのに、私も含めて多くの人は、明日もいつもと同じような毎日が来ると疑いもせずに、昨日と同じようなルーティンで1日1日を過ごす。まるで生活が半永久的に続くかのような顔をして。

当たり前から生じる違和感

変じゃない?今私が思っている当たり前っていつかは変わるものなのにずっと続くと思い込んでいるなんて。それも多分多くの人が有限だってわかっているはずなのにまるで知らないかのように過ごしているこの現状。
そもそも100年前には今ある高校とかいう制度も整ってなかっただろうし、10年前にはここまでスマホが普及していなかった。だから少なくとも100年前には朝学校に行かないといけないっていう当たり前はなかったはずだし、スマホの返信をできるだけ早く返さなきゃ、とか既読スルーはダメだっていう今の当たり前のようなことはなかったはずだ。10年後にはもしかしたらガソリン車の方が珍しくなっているかもしれないし、もっとロボットが普及して一家族一台制度が導入されていたりしたりするかも。そしたら、石油の輸入に頼らずに済むからアラブの国との関係は変わっているかもしれないし、家に帰ってきたらロボットがご飯を作ってくれている、だなんてこともありえるかも。そんな大きな話じゃなくても私は10年前はちびっこで公園で遊んでいるような子だったから、電車に乗るなんてことはなかったし、10年後は今の自分と同じ年くらいの子をみてあ、そういえばテストって点数取らなきゃって思ってたけど今思えば順位とかどうでもいいな、そんな小さなこと気にしなくてよかったなって思っているかもしれない。今私が思い込んでいるこの当たり前って実は意外とどうでもよかったりするんじゃないかな?だったら余計にどうしてなんだろう。いつかは変わるであろう現時点での「当たり前」に従わなくちゃならないって思い込んでいるのは。そしてその道からちょっと外れると落ち込んだり、焦っちゃったりするのは。

違和感とはぴったりと当てはまらないパズルのようなもの:ジグソーパズル: 

先程、私は当たり前が続くわけじゃないと、みんな分かっている、と書いた。けれどここで気が付いていないふりをしている、に訂正しておこうと思う。きっと言われたら理解できるはずだ。10年後、あなたは今日と全く同じような日を過ごしますか、と聞かれたら答えはNOだと。言われたら納得できるけれど、普段は知らないふりをしている。なぜか。それは今ある当たり前を疑うって面倒なことだから。疑い始めたらきりがない。どうして私っていつも電車で寝ているんだっけ?っていうような些細なことから始まり、おしまいには、え、どうして国は高校って制度を作ったんだろう、なんで私高校生って括りに入ってんだ、そもそも高校生ってなんだ?みたいな明確な答えがないこと、そして一歩進めば自己の存在が危うくなるようなことまで悩み始めることになる。だから気がつかないふりをする。多少ちょっと変だなって思うようなことがあったとしても、その感情は見ないふりをする。だって今あるレールを崩すよりも、昨日から続く同じレールを今日を進むことの方が楽だし安心できるから。
 でも、その楽さと引き換えに、ちょっと変だな、という感情は溜まっていく。だって無理に自分を思い込ませているから。考えてみればそう、どうして学校に朝行かなきゃいけないんだろう、って言う問いに対して、みんながそうしてるから、とか、テストでいい点を取らなきゃいけないのなんでだろうって言う問いにはいい点数の方がいいから、と自分でも納得できない理由をつけて納得させてきた。けれども、そんなふうにして起こったちょっと変だな、という感情を解消できたことは一度もない。だってなんか違うんだよなぁ、という自分の声は聞こえるから。きっとこの声こそが違和感の正体だ。もぞもぞとするような、ぴったりとはまらないパズルを無理やり繋ぎ合わせたような、そんな感じ。いつまでも無視はできない、このモヤモヤは。確かにパズルを一からやり直すのは面倒なことかもしれない。でも、自分の声ととことん向き合って、答えは出なくても心底納得できるまで追求するのは、なんか妥協せず自分に正直に生きている、みたいでかっこいいんじゃないかと思う。疑い始めたらきりがないから、ちょっとずつ、ちょっとずつ、になるけど。

と最後に、最近私が感じた違和感を一つ。
「お風呂に入ると毎回熱唱したくなる」
ちなみに選曲は毎回気分により異なります。