今を生きるあなたに3つの質問をします(中井美佑・高2)

メンバー記事(プログラム:編集)

※不妊治療や流産で苦しんだ方、そして全国のお母さんを傷つける文章であることを予めお詫び申し上げます。


「産むこと、産まれてくることが絶対に立派で正しい」という考え私はあまり好きじゃない。なんてことを誰かの前でいえば「どうしてそんな酷いことを言うの!お母さんに謝りなさい!」と批判を浴びそう。でもここで一つ考えてほしいことがある。

Q1. いつ私たちは”この世界に生まれたい。この世界で生きたい。”と望んだのでしょうか。

私の本音は「別に望んで生まれたわけじゃないんですけど。」である。これもまた批判を浴びそうな言葉である。しかし「私は何月何日にこの世界で生きたいと思って、お母さんに産んでもらいました!」という人間はいないはずだ。なぜならお母さんのお腹から出てきた後に私たちは意思を持つのだから。つまり私たちは自らエントリーしてこの世界に存在しているわけではない。気づいたらこの世界で名前をもらい、1人の人間として生活をしている。(させられている。)
例えば、英語の検定などは自分から申し込む。その場合テストに受かるために勉強することは当たり前だと思う。しかし、生きることに関しては申し込んだわけでもないのに、気づいたら「勉強しろ!社会に出ろ!結婚しろ!子供を作れ!」と大人に指図されている。しかも残念なことにこの世は不平等なことだらけでとても理不尽である。顔だってある程度は生まれた時に決まっている。多くの人が自分と他人とを比べ、どうして私は一重なのとか、骨格がいやだとかとにかく悩まされる。勉強だって学校では得意不得意関係なく、たくさんさせられ、個人の感想を述べた作文にまで点数をつけられる。でもそれも社会に出て仕事を得るにはいい学歴が必要だから仕方がない、とにかく頑張れという一言で片付けられる。その割には社会に出る上で必要な冠婚葬祭のマナーや社会人メイク、パソコンの使い方を学校では教えてくれない。ここでもう一つ考えてほしいことがある。

Q2. 勉強は社会に出て働くためにします。社会に出て働くのは生きるためです。では”生きることは何のためなのでしょうか。”

東大王でさえも、こんなクイズを出されたら戸惑うだろう。私はこの答えが見つからなくて、この一年悩んでいる。「どうせ死ぬのに頑張る理由」ってどこにあるのだろうか。これもまた「そんなの言ったら何も頑張れないじゃん」と批判を浴びそう。でも私はその「何のために生きているのか」という問いに対して答えを持たないまま、ただがむしゃらに頑張っている人の気持ちがわからない。「明日の試合に向けてほんまに頑張ってきた」という学生、「今日耐えたら明日は楽しいかも、だから残業頑張る」という会社員。今何かが起きて、その明日がなくなったらどうするの?その頑張っている部活、仕事って何のためにしてきたの?そう聞きたくなる。
中学生の時はこんなことを考えてもみなかった。いつから私はこんな重たいことを考えて生きているのだろう。わからない。きっかけも思い出せない。もしかしたら、コロナの流行が影響したのかもしれない。ダイエットの失敗が影響したのかもしれない。
でも別に私は「今死んでやる!」と言っているわけではない。ただ生まれないという選択肢があるならそっちの方が絶対楽だと思うだけである。生まれなければ苦しい、悲しいという感情を持つことはない。もちろん逆に楽しい、嬉しいという感情を持つこともない。周りの人は「確かに生まれなかったら苦しむことはないけど、今みたいに楽しめないんだよ!」と言う。私はそうだよね!と笑顔で頷くが、内心は「いや生まれたから楽しみたいだけであって、そもそも生まれてなかったら楽しみたいという欲もないんよ。それより勝手に生まれてよくわからないことに苦しまされていることに疑問を持たないの?」と思っている。
……私ってどこまでもひねくれているなあ。人間向いてないのかも。
そんなひねくれた私は将来子供を産む気はない。大切な人が出来ても、絶対に産みたくない。それは生まれてきた子供が生きることについて悩んだとき、または苦しみから逃れる方法を聞いてきたとき、私は「生まれる前に戻ろうか」としか言えないからである。しかし実際には戻ることはできない。自分で産んだ子供が生きることについて悩むときがきたら、たとえ明日楽しいことが起きる可能性があったとしても、苦しみや悲しみという感情が存在する以上、「明日は絶対に楽しめるよ!」なんて簡単には言えない。
ここまで、私は生きること生まれてくることについて散々なことを言ってきた。どんな批判を浴びても仕方がない。しかしこんなにひねくれている私でも妊娠、出産は本当にめでたいことだと思う。子供ができたというニュースは知らない人のことでも温かい気持ちになる。幸せな気持ちになる。だから私は決して産むな!と言っているわけではない。ただ忘れてはいけないことがある。それは親と子供は血の繋がりがあったとしても全くの別人であるということだ。親がどんなに素敵な人間であったとしても、子供は生きることについて悩むだろうし、苦しくて逃げ出したいと思うこともあるだろう。「恵まれていることに感謝して生きなさい。」素敵な言葉ではあるけれど、私からすればこれも「そもそも生きること自ら望んでないんですけど!!」と感じてしまうのだ。ここで最後に考えて欲しいことがある。今、子供が欲しいと思っている人、将来子供を育てたいと思っている人は特にきちんと考えてみてほしい。

Q3. 自分の子供が少し大きくなったとき”人間って何のために生きてるの”、 “世の中って不平等なことだらけ”と悩んでいたら、あなたは何と声かけますか。

完璧な答えなんてないと思う。世の中は本当に不平等で、理不尽でめちゃくちゃである。
そんな中、これからも世界中で子供は生まれてくる。意思を持つ前に、自らエントリーをしないで…。私自身もうすでに生まれて存在しているのだから、この後もなんやかんや生きなければならないはずだ。だからたとえ生きる理由をうまく探せなかったとしても、同じように悩む子供が「生きるってそんなにしんどくないのかも」と思える日が来るまで、できる限りのことをしたい。「素敵な未来になりますように」そう祈るだけでは何も変わらないから、1人の力は小さくても私にできる最大限のことをしなければならない。もしかするとこれが私の生きる意味になるのかもしれないと今は考えることにした。

最後まで読んでいただきありがとうございました。このひねくれた文章を読んで疲れたあなたにも明日、素敵なことが起こりますように。”絶対”はないけれど、心からお祈り致します。