私が普段思い込んでいることは、「先生の言うことは絶対」ということです。
これをふと思ったのは、毎週行われる古典の授業での古語テスト直前に必死に唱えたり適当な語呂合わせをしたりして頭に叩きこんでいる自分をふと俯瞰で見て「自分何やってるのかな」と思ったからです。私はすでに大学受験でも古文を使わないことが決定しているし、現代の日本で知っておくといい古語は「いとをかし」くらいで充分だとも思ってしまいます。
これを大人に言うと「でも気が変わって使うことになるかもしれないし」「一般教養として知っておけばいいんじゃない」と言われましたが、どうも腑に落ちませんでした。むしろ、この古語テストの勉強時間を数学の問題演習に使ったほうが効率も良いと思いますし、現時点で覚える必要のない古語をやみくもに覚えるのには違和感を感じました。
また、毎回頭に叩きこむだけの超短期記憶なので、家に帰ると必ず忘れています。これも含めると、もはや古語がとても憎らしく思えてきてしまいました。
これは全て先生が「やりなさい」と私たち生徒に言ったからで、私も周りもそのことに何の疑問も持たず知らず知らずのうちに受け入れていました。
このように、私はそれが何を意味するか考えずに先生の言うことは絶対だと思って受け入れていることが多いなと感じました。