行き着いた場所も見えた風景も想定外だったけど。【だれでも食堂チーム】

協働プロトタイピング

YouTube やテレビのCMで流れてくる海外の貧困問題。「自分たちが救いたい!」というのが、同じ高校から一緒に参加した、2人のワガママ。でも日本にも貧困問題はあるのでは?フードバンクって依存関係を生むだけ?コーディネーターとも何度も議論を重ね、2人がたどり着いたのはお客さんと一緒にご飯をつくる「食堂」。といっても場所はない。物件探しからスタートし、近所のお寺に交渉、カフェを間借りできることに。

「子ども食堂」ならぬ「だれでも食堂」と名づけ、近所にチラシを配り、ついにオープンまでこぎつけた。1週間に一度、一ヶ月間開かれたこの食堂、最初は知り合いがほとんどだった来店客も、回を重ねるごとに地域の人が来るように。子連れのお客さん同士が仲良くなったり、一人で食べにきている人が話しかけてくれたり。

やってみてわかったことは「貧困」が理由というよりは、「一人で食べることが寂しい」から食堂に来てくれる人が多かったこと。気がつけば、最初の「ワガママ」からは随分と離れちゃったけど、やってみなくちゃわからない、ってことがわかったのも大きな収穫になった。


ただの高校生が発言しても意味ないって思ってた。

そもそも人見知りだし、発言はあまりしないほう。ましてや日本に人は溢れてるし、ツイッターには何億ものつぶやきが流れているような中で、私みたいな一人の高校生が「こうしたほうがいい」とか発言してもなんの意味もないんだろうなってずっと思ってました。でもこのプロジェクトに参加してみて、周りの大人の方達が「できる限りサポートするよ」っていう姿勢で常にいてくれて、「言ってみたら本当にできるんじゃないか」っていう気持ちがだんだん湧いてくるように。

たくさん大人の手を借りて実現できた食堂だけど、自分が提案したことが形になっていって、最後の日に来てくれたお客さんたちの子供同士が仲良くなって、バイバイ!って手を振るところを見た時に、貧困とは違う形になっちゃったけど、居場所は作れたのかなあ、やってよかったなあって思いました。貸していただいたカフェのオーナーさんも自分のSNSで宣伝してくれたりたくさん協力してくださって。本当に良い方だったんですが、「これをきっかけにお寺に来てくれる人が増えたら自分も嬉しい」って言ってくださって。自分たちが動いたことで、色んな人たちの喜びにつながったんだなって思っています。

「海外の貧困」というひとつの視点だけにとらわれていた自分を見つけた。

プロジェクトに参加してみて一番大きい変化は、自分が一つの視点しか持っていなかったことに気がつけたことかもしれません。「海外の貧困を」ばっかり言っていた自分たちだったけど、合宿中に協働メンバーやコーディネーターなどの方々が「国内でも貧困があるのは知ってる?」とか色んな視点を与えてくれて、そこからどんどん変わっていけた気がしています。

あとはやっぱり食堂をオープンさせてみて感じたことも大きくて。自分たちは最初から「貧困を救いたい」っていうことしか頭になかったから、食堂のチラシもそういう地域に配ったりしていたけど、いざ食堂を開けてみると、来てくれる方達はそんな雰囲気ではなくて、むしろ寂しくて来たのかなあって感じました。特に印象的だったのは、一人で来てくれた40代くらいのサラリーマンの男性。初めて来た時は一人で黙々と食べてたのが、最終日に打ち解けて話をしたらすごい笑顔になって楽しそうにしてくれたんです。

貧困のことばっかり考えてた自分だったけど、社会には他にも困っていることがたくさんあるんだろうなって思いました。色んな方達の視点や、実際やってみてわかったことのおかげで、自分が「海外の貧困を」しか頭になかったことに気がつけたのは本当に良かったなと思っています。その上で、もう一回「海外の貧困」を考えていきたいなと今は思っています。それが私のネクストワガママかも。

(構成・文:桂知秋)